院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


雪のある風景



一葉の写真。二十五年以上前の十二月の日付。学生一年目、異郷の地での初めての冬。沖縄生まれで沖縄育ちの私は、積もった雪がうれしくて小さな雪だるまを作った。医学の「い」の字も識らず、ただ純粋に真っ白な雪のように、けがれのない気概を持った若者が満面の笑みで、雪だるまと一緒に写真に写っている。忘れていたことはいつも突然思い出す。そしてそれは少しく私を励ましてくれる。
今年二月の北海道旅行。初めて見る雪に子供達は大喜び。屈託なくはしゃぐ姿がかわいい。小樽雪あかりの祭りでは、氷点下十度に迫る冷え込み。がちがちとふるえて体を寄せ合えば、家族のぬくもりが心地良い。雪といえばチェーホフの短編を思い出す。少年と少女がそり遊びをする。そりは二人を乗せて滑り降りる。「ビュッ、ビュッ」という風の音に紛れて「きみのことが好きだ」と囁く少年の声を聞いた。空耳かも知れない。胸がドキドキする。しかし少女はそのことを尋ねることができない。二人は何度となく滑り降りる。その度に少女には同じ声が聞こえてくる。確かめたくて、もう一度聞きたくて、泣きそうになりながら「もう一度、もう一度よ」と言って少女はそりを引いて丘に登る。二人は別々の町に暮らすようになり、それぞれが幸せな結婚をする。でも二人はあの日の雪滑りの出来事を一生忘れなかった。
寒い冬の日にはロマンチックな物語がよく似合う。


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